責任
コロナショックで研修関係も延期は余儀なくされてますが、お陰様で当社はここ1か月で新たなオファーや業務委託で光が見えてきました。
係わり頂いている方々に感謝です。
目の前の大切なチャンスに誠実に丁寧に寄り添う。
この様な状況は2度目なので、冷静に平常心・不動心で自粛せず過ごしております。
さて、東日本大震災から9年、コロナショックの真っただ中、(責任って取ってきたのか?)と思う事があり整理してみます。
「私の責任で・・・」とか、「責任として・・」とか、
戦国時代であれば、国を守れなかったら大名は切腹して家臣を守った。
侍は過失が在ったらいつでも切腹する覚悟を持っていた。
現在でも中小企業の社長で、まさに命懸け(保険金や財産)で会社を守って来た方々がいました。
ひとりの責任の範囲を超えた多大で重大な過失の場合は、辞任・給与カット、賠償(自分のお金ではない)程度でうやむやになってますせんか?
結局、誰も責任を取らず、取れず、遠回りして国民に負担がのしかかる。
取れない責任なら「私の責任で」とか言って欲しくない。
責任とれない決断をして、想定外・未曾有とか言って欲しくない。
負の遺産(借金や核廃棄物処理等)を子供たちに残して欲しくない。
無責任じゃないと、大きな決断はできないものなのかな、、、と